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Brand history | Ebisuya

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名 称   南部古代型染

歴 史   初代 蛭子屋三右衛門 寛永五年(一六二八年)

用 途   武家階級の使用が主であった。

 

一、祖先は、代々南部藩御用の染師であったので、当時使用した染型紙が大切に保存されてきた。

  又、技術も代々継承されてきた。  

 

二、その保存に恵まれたのは、東北の端の地という環境により、他からの影響も少なく、

  淘汰される事なく温存され、高められていった。

 

三、型作りから仕上げに至るまでの一切の工程を、一貫して手加工としている。

 

四、後継者に恵まれ、時代的にも伝統的な物の良さが認識されている。 

 

五、製品の完成度に留意すると共に、時代への適応も心掛け、顧客の希望も取り入れている

六、蒅藍・木灰を使用した、伝統的な発酵建てによる昔ながらの染法を現在も守り続けている。

  藍色の躍動が正藍染の素晴らしさであり、現代においても尚、魅力を放ち続けている。

  南部藍が生産されなくなった今日、阿波徳島産の藍を現在使用している。

  

 文様と制作方法は、中国から伝播した文化である。その美術文化の源流である中国に一九六六年五月、

北京・上海・蘇州・杭州・広東へ技術指導の為訪れる機会を得、さらに日中文化交流の足跡をたどる事ができた。地元の文献によると、文様は既に一五〇〇年前に交流があったとの記録が残っている。

そして今も原型を損なう事なく、生き続けている。

And there, Japan

 初代蛭子屋三右衛門は藩の染師として、京都から三戸へ呼び寄せられました。
慶長四年(1599年)、南部信直公が盛岡に居城を構えた事により、現在の盛岡に移りました。
江戸時代の蛭子屋は代々、藩の武士の裃(かみしも)、鎧下(よろいした)、小袖(こそで)、旗指物(はたさしもの)、幟(のぼり)、幔幕(まんまく)などを、藍を主体に染色しておりました。

 当時、各藩では独自の特徴のある文様を持ち、「止め型(とめがた)」や「約束型(やくそくがた)」と呼ばれるもので、それを身に着けることで生国なり藩なりの出身地を示していたため、他の藩での使用を禁じられていました。南部藩における南部型がそれにあたり、蛭子屋では藩や武家階級の注文に応じていました。

 南部型は、紋様構成がダイナミックであり、繊細かつ優雅な流れによる表現が特徴です。南部藩士の

豪快な気性と、美術を好む城主の風雅な気質が、受け継がれてきた多くの紋様に反映されています。

 現当主、小野信太郎が17代目にあたることから、400年以上の歴史を刻んでおります。
 私共の仕事は、歴史的伝統に培われ、先達から技術を継承してきたものです。それらを現代の日常生活の

中にも適応させるべく精進していく事で、日本文化の灯火として後世に伝える事が出来るならば、これに

勝る幸せはありません。

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